浜松 闘将・家康プロジェクト
《将軍DON》
「将軍DON」浜松 出世丼ぶり
運気上昇!浜松出世飯│長寿のパワースポット
家康公を支えた徳川四天王
若き日の家康公が17年間過ごし
素晴らしい浜松産の食材を食べたからこそ
のちの天下泰平の世を築いたのである!!
それが《浜松パワーフード》なんです!!
「出世城」徳川家康公は浜松の地に
「浜松城(出世城)」を築き
29~45歳までの17年という
生涯で一番苦しい時代に浜松城主として
浜松に暮らし、浜松のものを食べ
浜松の風土の中で心身ともに成長したからこそ
幾多の苦難や困難を乗り越えられたのです。
実に265年も続く天下泰平の世を
築く事ができたのは皆も知っておろう。
まさしく浜松産パワーフードなしでは天下統一は
成し遂げられなかったと思うんじゃ!!
そんな秘めたパワーを持った
浜松産の食材を食べれば
みんな大願成就まちがいなし。
浜松にお越しの皆々には
お近づきの印に拙者の「出世運」を授けるぞよ。
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~天下取り挑戦伝説~
徳川家康公は29歳~45歳までの17年間を
浜松城で過ごしました。
有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いも
この期間中の出来事で
特に元亀3年(1572)の三方ヶ原の合戦は
関ヶ原の合戦以上の激闘であったと
伝えられています。
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「天下統一」
徳川家康公にとって浜松在城17年間は
徳川300年の歴史を築くための
試練の時代だったと言えるでしょう。
そして、この厳しい浜松時代を乗り切り
天下統一が果たせたのも
出世の街 浜松が育んだ食材
「浜松パワーフード」を
食していたからなんです。
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徳川家康公の兜(羊歯具足)を
イメージした 浜松出世どんぶり!!
「将軍DON」
兜の特長は、シダの葉の鍬形(くわがた)で
正式には「黒漆塗大黒頭巾形兜」と言い
別名が「羊歯(しだ)の兜」 または
「歯朶(しだ)の兜」といいます。
浜松を感じて頂けるイチオシ丼ぶりです。
《活力の源》
戦国の世の時代から家康公はじめ
出世人や浜松人の活力の源はまさに
浜松産の食材にありました。
それゆえ、浜松地域で採れた食材は「浜松パワーフード」なのです。
また、江戸時代より浜松城が出世城と呼ばれるように、浜松は「出世の街」なんです。
《健康寿命 日本一》
浜松市は現在、男女ともに健康寿命日本一の街なんですよ!!なんといってもおいしいお茶や、新鮮な浜松産品を毎日の食卓で利用されているからかもしれません。
浜松のエネルギーを毎日100%とりこんでいるからなのでしょう。
浜松産品は、市民に強い活力を与える奇跡の「パワーフード」なのです。
出世飯《将軍DON》
※当日予約不可
10,000円《税込》《大出世》
戦国時代を駆け抜け天下人となった
徳川家康公の大出世をはじめ、代々浜松城主となった諸大名や、浜松に関わった大勢の武将達が、見事に出世を成し遂げ、また現代でも世界的に成長した企業が、ここ浜松から生まれていることは言うまでもなかろう。
伊勢海老を殻付きのまま煮た料理を、殻を鎧に見立てた料理を「具足煮」と呼ぶ。具足(ぐそく)とは、日本の甲冑や鎧・兜の別称をさし、龍に見立てます。
《世界で通用する企業も》
神君「德川家康公」をはじめ、浜松城主になった名立たる方々が大出世を果たしており、浜松城は幕閣への登竜門で、当時から「出世城」と呼ばれていました。
以来、現代までも世界で活躍する大出世を果たしている浜松出身の企業がたくさん生まれているのは、皆様ご存知のとおり。
☆徳川四天王
《浜松産食材で表現》
・酒井 忠次 = しらす【魚】
*忠次は海老や小魚をすくう踊りが得意であり、重臣であるにもかかわらず諸将の前で踊りを見せ、大いに盛り上げたという。
・本多 忠勝 = うなぎ【長い】
*忠勝が愛用した事で知られる
「蜻蛉切(とんぼきり)」は、天下三名槍と呼ばれた槍の1つで、通常の槍は4.5メートルほどであるが、蜻蛉切は、なんと柄の長さが6メートルもあったそうだ。
・榊原康政 = すっぽん【亀】
*康政の幼名は於亀(おかめ)または
「亀丸」とも呼ばれた。
・井伊直政 = どうまん蟹【赤】
*「井伊の赤備え」と呼ばれる、
徳川精鋭部隊の大将であった。
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家康公は、縁起物やゲン担ぎを
特に大事にしていたそうです!!
アワビ(討ち)栗(勝ち)昆布(喜ぶ)
戦国時代は出陣の際、武将は具足姿で椅子に
腰かけ「討ち,勝ち,喜ぶ」を願って
大将から順に《うち鮑》《かち栗》《昆布》を
必ず食べたと云われる。
天下人がこよなく愛した
食材がてんこもり!!
「天下の主といえどもつづまるところは
唯一飯よりほかは用なし」
麦飯を好み、山のものや海のものをバランスよく
取り入れた料理を食べていたそうです。
また旬のものを大切にし、季節外れの食材を
口にすることはありませんでした。
・わさび(山葵)
徳川家康公のもとへ、わさびが届けられたところ、家康はその風味を大変気に入り珍重したという逸話も残っています。
・麦飯(十七穀米)
麦飯は家康が健康食として好みました。白米よりも低カロリーで食物繊維を多く含みます。
・甘鯛の天ぷら(浜名湖青さ入り)
ある日、甘鯛がお膳に載っていた。
「これは美味い。何と言う料理だ」
「別に名前はございませぬ」
「そちの名は」
「奥津(おきつ)と申します」
「では興津鯛と名づけるがよかろう」
・なす(南蛮煮びたし)
家康がこよなく愛した地元特産のナス。「一富士二鷹三なすび」で名高い名物ナスは、たびたび家康公に献上された。
・かくや(細かく刻んだ漬物)
老年の家康は、歯が悪くなったので
漬物を細かく刻んだのを好んだ。
「今日の膳番は誰だ」
「岩下覺彌(かくや)にございます」
「漬物の調じ方が格別によい」
「以後は覺彌に刻ませい」
これがかくや、のちの香物となったと云われる。
・とろろ芋
「とろろ汁」は家康公が麦飯とともに好んで食べたとされるヘルシーな料理です。麦飯が固いのでとろろを掛けると喉ごし良く食べやすくなるんです。
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「長命こそ勝ち残りの源である」
「人は最も多くの人間を喜ばせたものが
最も大きく栄えるものじゃ」
信長や秀吉でさえかなわなかった夢
天下統一を現実のものにしたのも
徳川家臣団の結束力と自らの信念をもとに
食した数々の食文化にあるのかもしれない。
人生のさまざまな場面で
浜松をご利用いただけます。
家康公の愛した食品は、保存や栄養面でも
非常に優れたものでした。
また、その時代としては驚異的な長寿であり
75歳で没した家康公だが
その秘訣は質素ながらも
体に良い食生活にあったと言われている。
【浜松城は出世城】
徳川家康公の後、浜松城を守ったのは
25代の譜代大名たち。
彼らの多くが幕府の要職に登用されたことから
浜松城はのちに「出世城」
と呼ばれるようになりました。
【天下盗りを目指す為の貴重な教訓】
三方ヶ原の合戦は元亀3年(1572)
武田信玄と徳川・織田連合軍が
浜松市郊外の三方ヶ原台地で激突した戦いで
家康公の生涯で最大の敗戦と言われています。
浜松城に帰った家康公は
敗戦直後の意気消沈した自分の顔の絵を描かせ
生涯この絵を大切にし
敗北を自戒したと伝えられています。
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